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天草陶磁器について



天草地方で最も古い焼き物は慶長年間(1596~1615)頃の楠浦焼と言われ、豊臣秀吉による朝鮮出兵で連れ帰った朝鮮人に作らせたものが天草陶磁器の始まりと言われています。優れた陶石が産出する天草では、1650年頃に内田皿山焼の磁器が焼かれており、延宝年間以降は、高浜焼等の窯元で磁器が焼かれていました。天草陶石の発見を、江戸のダビンチ平賀源内は海外輸出振興に役立つ「天下無双の品」と表現し、いち早くブランド化を構想していたといいうエピソードも。
 近代以降は明和2年(1765年)に天草郡本戸村水の平(現本渡市)で水の平焼が創業を開始し、瀬戸磁器の始祖加藤民吉が天草での修行を基に瀬戸磁器を創業します。もともと天草は、天領であったため藩窯的なものはありませんでした。各村の庄屋たちが村民の自活のための磁器や陶器作りが根本にあり、そのため長い間、他の産地のように「ブランド」として表舞台に出ることは少なかったようです。


平成15年に日本の伝統工芸品の認定を受け、現在8の窯元で、天草陶石を使用した透明感のある純白の磁器や、島内の陶土を用い、性質の異なる釉薬の二重掛けの技法を用いた赤海鼠の陶器など、個性的で多様・多彩な陶器が焼かれています。また自主的な展示会も開催するなど、全国進出を目指した新しいブランド化への取り組みも活発に行われています。

これからも天草陶磁器の新しいビジョン

今回のJAPANブランド選択を機会に、各窯元の自主的な活動を尊重しながらも、地域の「天草陶石」「天草陶磁器」を世界の「天草陶石・陶磁器=CERAMICA AMACUSA」として産地ブランド化する、様々な取り組みがスタートしており、陶石採掘企業・窯元・外部専門家などとのコラボレーションによる、従来の「器」から、市場ニーズに狙いを定めた生活空間全般のマテリアル・商品・産業製品へ向けた様々な商品化が推進されていく予定です。また海外に対しては世界品質の「天草陶石」を通じて、天草と交流の深い中国やポルトガルとの「美術陶板」や「アズレージョ(絵陶板)」の技術交流・人材育成を深める「陶磁器コレジョ」も開設されます。




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